2014年9月25日木曜日

子供と安全

安全に生きるということは何よりも大切ではないだろうか。

教育とは未来に対する投資である。

今日学んだことが明日すぐに役立つとは限らないが将来的にいろいろな意味で役に立ってくるのが教育ではないかと考える。

そこで、人の生命に関する教育は最大限やってもやりすぎることは無いと思う。

受験勉強の忙しさに比べると生命や安全に関わる教育は厳しくされているとは思えない。

ここ最近のニュースでは、小学生が誘拐され殺害されるという事件があった。

また、小学生がマンションから飛び降りて亡くなるということもあった。

命の大切さ、尊さ、じぶんの身は自分で守るという教育を徹底して行う必要がある。

また、子供以外の大人はみんなで子供たちの安全を守らなければならない。

なぜなら、大人になっている人は子供のときに多くの人に守られながらここまで生きてきたのだから。

地震や大雨といった災害でも子供が儀税になる。少子化である日本では子供はますます貴重な人材であるので、安全に健やかに生きる教育を社会全体で作り上げていきたい。

行事と授業

学校には年中行事がある。運動会に文化祭や合唱祭などまさに祭りという名のふさわしい行事がたくさんある。

行事は特別活動と呼ばれている。たしか修学旅行などの宿泊を伴う行事もそれにあたるだろう。

教員は行事ごとになるととても忙しくなる。教科や性別キャリアなどに関わらず、全員が行事の指導に当たる。

これが本当に1年に一回の、特別な祭りならよいだろう。

前日と当日だとかそれくらいの準備と本番に要する時間であればなんら問題は無いと思う。

今は、学力の向上が求めれれている時代だ。ペーパー試験は前提として、実際の世の中で通用する能力を身に付けるべきだということだ。

行事には子供が成長する仕組みがたくさんある。係活動を通じて勤労観を養ったり自身を付けさせたり、リーダー的な生徒を中心にクラスを団結させることもできる。

それはそれでよい。

でも21世紀は個人の時代といわれているし、学力向上や、個別のニーズにあった教育を求めるというのであれば、行事はやめるかかなり縮小すべきである。

部活動やクラブ活動、ボランティアなどで行事で学べるものは学ぶことができる。必ずしも学校でやらなければいけないものではない。

学校は、授業を受けるところである。授業の一環で、博物館や動物園に自由に行ってみたりしたいものだがそうはいかないようである。

一番困るのは、毎年やっているから今年もやるだ。それでは進歩が無い。

古木を訪ねつつも新しいものを取り入れていくべきだと思う。

2014年7月21日月曜日

夏休みとは

夏休みといえば子供たちの中でも一番の楽しみごとではないだろうか。

海水浴に、夏祭りの縁日、花火に夕方まで明るく外で遊んでいられるなど楽しみが盛りだくさんだ。

教員にとっても夏休みは一番といってもよいほどの楽しみごとである。

以前は自宅研修という名の下、学校に出勤しなくとも自宅で研修しているということで

休みを取ることができたらしい。今では、管轄の区市町村の研修を受けたり多幸の教員と研修会を

設けたりと、研修のよい機会となっている。

一方、教育的観点からは不の要素もある。やはり、非行に走ってしまう少年少女が多くなるのもこの時期ではないだろうか。

また、そういった子供同士が他の学校や地域の人と結びつきが強くなりやすい時期なのではないだろうか。

かつて、夏休みが終わると髪の毛の色が変わっているなんていうことも日常茶飯事だった。

近年は少し減少してきたのだろうか。

一方、学校ではなく学習塾や予備校にとってはかき入れ時だ。夏期講習をとらせることで多額の受講料を取ることができる。

何よりも、塾等の評判をあげるためには合格実績や成績を向上させることが一番保護者から評価されることなのだから、苦手分野を徹底的に鍛え上げるにはお互いにとって利益がある次期である。

夏休みは受験生の四天王山であるなんてう言葉を聞いたことがある。普段の家庭学習の何時間もの時間が取れるのであるから、これほど貴重な時間はない。

夏休みを利用して学力が飛躍的に向上するような生徒は、正直普段から学校に登校する意義はあるのだろうか。
行事や学級活動や部活動を通じて社会性を身につけることはとても大切なことであるが、最高学歴である大学受験を控えている高校3年生にとってはもっと柔軟なシステムがあってもいいのではないかとも思える。

例えば午前中は教養の一般授業で午後は塾か学校の補習か自主勉強など選択できてもよいと思う。

進路の都合で、受験科目が変更し、学校の授業と合わないこともよくあることだ。

教員にとっても夏休みは海外旅行ができる絶好のチャンスだ。受験生たちは、クーラーのきいた部屋の中一生懸命に勉強しているだろうが、教員は違う。
ローマ、パリ、オーストラリアなど何でもありだ。

6月下旬にボーナスが支給されていて、夏季休業中も授業をしているわけではないが8月にはきちんと給与が支払われる。

教員にとっても夏休みは一年に一度の有意義な時間なのだ。

夏休み苦しむのは、塾の先生、進学校の高等学校の先生の補修、そして受験生ではないだろうか。

暑い夏くらいみんなでバカンスを楽しんで経済効果を生みたいものである。

2014年7月10日木曜日

仕事ができるとは

仕事ができる人というとあなたはどんな人を想像するだろうか。

事務処理が早い人、知識が豊富で判断が適切で早い人

コミュニケーション能力が高く、交渉や商談がうまい人

いろいろな面で仕事ができるできないというわけ方ができる。

教育の世界では”授業力”がある先生が仕事ができる人と思われる。

と思った人が多いと思うが、それは真っ赤なうそである。

正確にはうそではなく、それでは周りの教員や保護者から信頼を得ることができないのである。

教員には”指導力”、”外部折衝能力””対教員間のコミュニケーション能力”が求められる。

具体的にいうと、管理職(校長・副校長)から支持を得ておけば出世は早い。

そこに授業力、指導力は関係ない。

やってる。実績が大切なのである。

特にすごいことをしなくても、見せ方がうまい人は調子よく評価を受ける。

授業の準備をいくらがんばってもまったく評価されない。

そんなことがある。

要は調子のいい人が得をするようになっているといってもいい。

そんな人たちが仕事ができると評価され

昇進して管理職になり、職場や子供の教育環境を悪化させる現状がある。

2014年6月21日土曜日

じゃかりきおばさん のんびりおじさん

おばさんはしゃかりきになって仕事をする。

丁寧に、形になって、目に見えることをすることが大切なのだと思っている。

おじさんは、どっしりかまえている。

優先順位の高いものだけ取り組む。

しゃかりきおばさんとゆっくりおじさんはけんかをする。

意見が合わないのでおばさんはむきになってもっとしゃかりきになる。


これらはずっと敵対するであろう。

少子高齢化対策

少子高齢化対策

 

 日本の人口ピラミッドから、今後50年の人口の推移が良く分かる。やるべきことは、起こるであろう現象に対して十分に準備をしていくことである。

 生産人口が減ることによって、養わなければならない人たちが増えてくる。これは確実なのだから、私が推進したいのは、子供、女性、老人自立支援対策である。

 基本的に生物は自分のことは自分でやるべきだ。生まれたての子供も、色々と人の世話にはなるが、自分で母乳は飲み込むし、要があれば泣くし自分のことはじぶんでやる、あたりまえのことである。

 子供は勉強だけしていればいい?スポーツ・音楽をしていればいい?こんな時代は終わりにしよう。子供にもどんどん活躍させよう。要はボランティアである。人の役に立ちながら、OJTをしてもらおうあという教育プランだことだ。働きながら学ぶ、教育実習みたいなものだ。企業はインターンシップを増やすべきだ。細かい作業、物を運ぶ、演劇などのエンターテイメント、何でも子どもに出来ることはある。いつまでも養われているばかりではいけない。しっかり社会で活躍してもらおう。自立を支援することが教育である。そのためにはインターンシップ支援法が必要だ。仕事を始めてから自分に合わないとか、転職したいけれど不安だとか色々抱えている若者は多いと思う。とにかく、35歳以下の若い世代にインターンシップを推進すべきである。

 女性について。21世紀は彼女たちにとってラッキーな時代になった。手厚い保護、サポート、女性を保護することへの社会的信用度など実にいい時代になった。子供を女性たったひとりで育てることもできる。

 そんなに自立したいならしっかりと働いてもらいましょう。彼女たちにも労働してもらいましょう。近所のお爺さんおばあさんのお世話。食堂の運営。衣服の作成、芸術的作品の創作、フロアスタッフ、掃除。実は昔から女性か家庭や地域でしっかりとやってきたことなのだ。有料でやってもらいましょう。それが無理ならやはりボランティアだと思う。

 この世で一番役に立たない女性はカフェに集まるようだ。うるさいだけで何も生み出さない。消費だけする。贅沢な時代は終わりだ。皆労働すべきだ。でも凧の釣り方を教えてくれた。実は会議に近いものがあるのかもしれない。

 老人。経験と知識は十分にある。健康を維持している人であれば、十分に20歳以上若い人と同じだけのものができる。では、年金でぬくぬくと暮らすのではなく働いてもらいましょう。働くことが健康に繋がり、若者の教育につながるものにすればよい。長野県のおやき会社は若者から老人まで元気に活躍している。働ける間ははたらく。これが大切だと思う。

2014年6月16日月曜日

忙しさを作り出す

忙しいという人がいる。

本当にその人は忙しいのだろうか?

忙しいという人は、自分がやらなければいけないことに対して

時間や心の余裕がまったく持てていない状態なのではないだろうか。

教員にもそういう働き方をする人がいる。

教育はここまでやったら限界、ここまでが正解というものがない。

もちろん、目標やねらいはあるが、丁寧にやろうと思えばいくらでもやることができる。

いくらやっても限界がないのである。

その忙しさを作っている例に行事がある。

行事は、やることに意義があるのだが、教育的に本当に意味があるのか疑問に思うこともある。

行事は塾にはない。予備校にもない。

イベントくらいならあるかもしれないが、例えば修学旅行はないだろう。

無理やりテーマを決めて、無理やりいかせる。

学力向上のために授業を増やせという者もいるが、行事に力を入れていては全然

教材研究などできない。

仕事も人生もシンプルにいきたいものである。

2014年6月4日水曜日

クレームと教育相談

 起業にはお客様サービスセンターなどといった客からのクレームを処理する部署があるものである。
 学校にはそのような部署はなく、直接クレームがくるか、自分の上司や監督している外部機関に訴えがいくことが多い。クレームはもっともらしいものもあり、業務改善に役立つものもあるが、タダ単に自己中心的であったり、勘違いから生まれるものであったりする。
 電話がこのクレームを起こしやすい原因を生んだ。人間は面と向かって言い合いになると時には暴力に発展することもある。
 電話はそのようなことも起こらないのでいいたいことが言い放題いえる。まして、メールにおいてはさらにひどいものになるだろう。
 このような教育に関するクレームは教育相談的手法を用いて対処するとよいらしい。相手の話をしっかり聞いて、共感する。共感することと同調することは違う。できないことや、だめなことははっきり断ることも大切である。
 クレームをいっても子供は成長しない。教師にプロとしての信頼があり、親も少々のことで文句を言いたくなくなるような雰囲気があるといいのではないかと思う。

2014年5月22日木曜日

運動会や体育祭について

 運動会といえば多くの子供や親が楽しみにしている学校行事だろう。普段は仕事で学校参観にもこれない保護者も運動会だけは休みをとって見にくる人も多いだろう。
 体育的行事ということで年に一度行うことが学校教育施行規則の中で定められている。
すべての子供が運動が得意なわけではない。中には、運動会ほど苦痛な行事はない、休みたいと思う子供もいるだろう。
 対決が大事か、集団行動が大事か、それぞれ学校によって重きは異なるだろうが、天候にも左右されやすいこの行事をより意義あるものに発展できないかと考えている。
 

2014年5月19日月曜日

喉自慢か授業参観か

公立中学教諭:のど自慢か、授業参観か…年休取り出演

毎日新聞 2014年05月17日 07時07分
 
 中部地方の公立中学校に勤務する50代女性教諭がNHKの番組「のど自慢」に出演するため、担任のクラスの授業参観と学校行事を欠席していたことが関係者への取材で分かった。年休を取っており手続き的に問題はないが、埼玉の県立高校で今春、自分の子どもの入学式に参加するため職場の入学式を欠席した教諭10+件の行動を巡り、賛否の議論が巻き起こったばかり。仕事と休暇について、今回はどう考える?
 この教諭は今春に生放送された番組に出演するため、当日の授業参観やPTA総会、学年懇談会を欠席した。授業は別の教諭10+件が担当した。事前に生徒や保護者への説明はなく、PTA総会では校長が「所用により欠席」と伝えたという。
 関係者によると、授業参観の日程は今年1月に決定。教諭10+件はその後、年休を申請し、校長から許可を得ていた。校長は「本人は授業参観と重なったことを気にしながら年休を申し出た。あまり好ましくはないが、許可せず本人の教育への意欲をそぐより、許可した方が教育に身が入ると判断した」と説明。「生徒や保護者からの不満の声も届いていない」と話している。
 中学校がある自治体の教育委員会は「校長が許可したのであれば、それが適切な判断だったと理解している」としている。
 ▽評論家の赤塚行雄さんの話 手続き上は問題ないとはいえ、保護者が来校する大事な行事よりプライベートを優先するのは、教師の姿勢として疑問を抱かざるを得ない。教師である以上、自らの務めを自覚する必要がある。許可した校長の判断にも首をかしげる。
 ▽労働問題に詳しい伊藤誠基弁護士の話 「教師は聖職」とする倫理的な議論は古くからあり、賛否も分かれるだろう。しかし、休暇は認められるべき権利であり、授業に支障のないよう配慮し、正式な手続きを経て上司から許可を得ているのであれば、法律上の問題はない。


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学校の事情が世間に知られていないことが原因であろう。
まず、休暇に理由は問われないのは原則。その教諭が勤務しないと業務上支障がある場合は所属長が時期変更権を使うことができるが今回はこれにあたらないと思う。

土曜参観は全ての教員が授業できるわけではない。おそらく3時間なので授業をしなくてもよい教員が生まれる。担任も副担任が代行してもなんら差しさわりがない。

教員や国家公務員といった既得権益の集団を叩くことが注目されているからこのような記事が載るのだろうか。

入学式に担任が自分の子供の入学式に行ったことが問題になるということが今年の4月にあった。

儀式の重要性から考えると賛否両論だろうが、余程の個人的な事情があったのだろうと推測し、休暇は権利であるので認めるべきであるかと思う。

ちなみに、入学式といえども、担任、副担任、学年主任などで組織的に対応するので担任1人抜けて、次の日に初対面したところろでなんら問題ない。
1人抜けたくらいで運営できないようであれば、生活指導やトラブル、が発生した際にまったく対応できなくなる。

サービス業が過剰になりすぎて、労働者の人権が守られない世の中になった証拠なのだろうか。


 




2014年5月14日水曜日

世界の人口ランキング


日本は少子高齢化の社会である。上の図は世界の人口ランキングである。http://ecodb.net/ranking/imf_lp.html  を参考にした。

ここから考えられることは、インドが世界一の人口の国になり、今後も世界に経済だけでなく影響を及ぼすであろうということだ。ロシア、ブラジル、中国という国々も30年でかなり経済的に成長するだろう。
そんな中、日本は少子高齢化の社会で、働く人口の割合が少ない。働いても、その対価は介護福祉、などに消えていくものが多い。さらに、ゆとり教育の影響もあり、いまの30、20代の世代に世界をリードできるようなものを期待できるのかも疑問である。
このような時代を生きる力を身につけるというが何をするべきなのか。
勉強法を身につける。基本的生活習慣を身に着ける。努力する方法を身に着ける。など上げればきりがない。先見の明を持って明日に力強く踏み進みたいと思う。

2014年5月13日火曜日

個別指導

 授業は複数の生徒に対して一人の先生で行うのが通常である。私も以前からこの形態が昔からあるお決まりの形態だと思い何の疑問も持たなかったが、今ではいろいろな形態の授業がある。

例えばT・Tと呼ばれる授業形態だ。T・Tはティームティーチングの略で一人の先生は前で普通に授業を行い、もう一人の先生は後ろから遅れ気味であったり、集中していない生徒に指導を行ったりする。

個別指導が昔の教育の基本であるらしい。昔はよい教育を受けることができる人はほんの一部の貴族であり、基本は家庭教師だったらしい。

 個人によっていろいろな事情があるので、それを加味して教育も行っていきたいと思う。

2014年5月9日金曜日

少子高齢化対策


  日本の人口ピラミッドから、今後50年の人口の推移が良く分かる。やるべきことは、

起こるであろう現象に対して十分に準備をしていくことである。

  生産人口が減ることによって、養わなければならない人たちが増えてくる。これは確実

なのだから、私が推進したいのは、子供、女性、老人自立支援対策である。

  生物は自分に関わることは自分でやるべきだ。生まれたての子供も、色々と人の世話

にはなるが、自分で母乳は飲み込むし、要があれば泣くし自分のことはじぶんでやる。

  子供は勉強だけしていればいい?スポーツ・音楽をしていればいい?こんな時代は終わ

りにしよう。子供にもどんどん活躍させよう。要はボランティアである。人の役に立ちな

がら、OJTをしてもらおうあという教育プランだことだ。働きながら学ぶ、教育実習みた

いなものだ。企業はインターンシップを増やすべきだ。細かい作業、物を運ぶ、演劇など

のエンターテイメント、何でも子どもに出来ることはある。いつまでも養われているばか

りではいけない。しっかり社会で活躍してもらおう。自立を支援することが教育である。

そのためにはインターンシップ支援法が必要だ。仕事を始めてから自分に合わないとか、

転職したいけれど不安だとか色々抱えている若者は多いと思う。とにかく、35歳以下の

若い世代にインターンシップを推進すべきである。

  女性について。21世紀は彼女たちにとってラッキーな時代になった。手厚い保護、サ

ポート、女性を保護することへの社会的信用度など実にいい時代になった。子供を女性た

ったひとりで育てることもできる。

  そんなに自立したいならしっかりと働いてもらいましょう。彼女たちにも労働してもら

いましょう。近所のお爺さんおばあさんのお世話。食堂の運営。衣服の作成、芸術的作品

の創作、フロアスタッフ、掃除。実は昔から女性か家庭や地域でしっかりとやってきたこ

となのだ。有料でやってもらいましょう。それが無理ならやはりボランティアだと思う。

  この世で一番役に立たない女性はカフェに集まるようだ。うるさいだけで何も生み出さ

ない。消費だけする。贅沢な時代は終わりだ。皆労働すべきだ。でも凧の釣り方を教えて

くれた。実は会議に近いものがあるのかもしれない。

  老人。経験と知識は十分にある。健康を維持している人であれば、十分に20歳以上若

い人と同じだけのものができる。では、年金でぬくぬくと暮らすのではなく働いてもらい

ましょう。働くことが健康に繋がり、若者の教育につながるものにすればよい。長野県の

おやき会社がよい例である。中卒の少年から、80台まで元気よく働いている。

働ける間ははたらく。これが大切だと思う。

2014年4月27日日曜日

ストレス対策10カ条

教育にストレスは大敵である。

ストレスを抱えないようにまずは対策をしておくことが大切である。

目の前の課題に集中する。

一度にひとつのことだけ考える。

悩みは相談する。

決心したら行動する。

一人でいる時間を充実させる。

他人を羨んだり誹謗したりしない。

リラックスした時間を持つこと。

夜は悩み事を考えない。

毎日の生活を習慣にする。

ストレスを自覚する。

学校生活に悩んでいる人、受験勉強に苦しんでいる人に是非参考にしてもらいたい。

こころを強くする


ストレスの多い社会で生きていくには心を強くすることが大切だといわれる。ストレス耐
 
性なんていう言葉も使われていたりする。近年、脳内物資セロトニンが注目されている。
 
脳内物質は百種類以上あるらしいが、セロトニンは精神を安定させるはたらきがある。快
 
楽を伝達するドーパミンと、神経を興奮させるノルアドレナリンをコントロールするはた
 
らきがあるらしい。

 セロトニンを増やすためには、薬を使うこともできるらしいが普段の生活を意識するだ
 
けでも変わるらしい。

 食生活については、カツオ、マグロなどの赤身魚、牛や豚などの肉やレバー、チーズ・
 
ヨーグルトなどの乳製品を取るとセロトニンの原料であるトリプトファンという必須アミ
 
ノ酸を得ることができるらしい。

次に運動、運動はトリプトファンの分泌を増やすはたらきがある。

 さらに、映画・小説など感動するものに触れることだ。そうすると情緒が発達し安定し
 
てくるらしい。
 
 強くするというよりも、安定するための対策を十分にしておくことが大切であろう。

 

2014年4月26日土曜日

面白いこと

 近年はお笑いブームだとよくTVなどのメディアで耳にしたことがある。

個人的には昔からドリフ、バカ殿様、吉本新喜劇、M-1など元から面白いものが好きなので

ブームというよりは昔から楽しんでみていた。

 
 笑うことはストレス発散になり健康に良い。お笑い芸人が名司会者となり、バラエティを

盛り上げていることからも、国民的支持率が高いことが伺える。

 私は学びにも笑いが大切だと思う。笑って話を聞いていたり、活動している間にいろいろなことを

覚えてしまうというのが理想だろうか。

 残念ながら教科書の内容には一切の笑い、ユーモアさえもない。

 現場の教員は、この内容を以下に面白く伝えるかがポイントになるのではないかと思う。

2014年4月25日金曜日

継続は力なり

優れた道徳心は習慣からしか生まれない。

私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならないのだ。
節制している人は節度のある人となり、勇気ある行動を続けている人は勇敢な人となる。

と哲学者アリストテレスは名言を残している。

教育において継続、習慣はとても大切なものである。

物事を習慣にすると精神的ストレスも小さくて済む。

続けることで、知識や体力も定着する。

教育は、いかに物事を習慣化させ、ストレスがなくリラックスした状態で

行えるかが勝負になるのではないか。

そんな技術や教材が世の中にあふれるとよいと思う。

2014年4月20日日曜日

投資教育について


物の値段は毎日変わっている。スーパーにいけば、毎日,商品の値段が変わっている。その商品の原価もまた異なる。材料費、人件費など同じ商品であっても少しずつ変わっているのである。

 同様に、個人の資産も毎日価値が変化している。例えば、円で資産を持っている場合、ドルに対して円高であれば円の価値は高く、円安になれば価値は下がる。

 家、車、家具や宝石といった資産も同様に毎日、連動して価格が変わっている。また、需要と供給の関係で物そのものの価格も毎日、変化しているのだ。

 近年の社会的騒動では、リーマンショック、東日本大震災が記憶に新しい。アベノミクスと呼ばれる、自民党政権に変わってからの景気上昇があるといわれるが、増税もあり先の見通しがつかない。
 以上の理由で、大切な資産は毎日『自分が何もしなくても』価値が変わり、最悪な場合には、ほとんど価値のないものになってしまうこともありうるのである。

 こんな大切なことを学校教育ではまったく教えない。きっと、投資家が増えすぎたり、独立して起業に走る人が増えすぎると大企業に就職しようなんて誰も考えないからなのだろう。
 行政は形式的に例年通りのことをやりたがる。例年通りのことが再現できれば合格なのだ。まるで祭りと同じことのようである。彼らに変化を期待することはできないだろう。

 
 自分の身は自分で守るということと同じように、自分の資産は自分で守らなければならないのだ。
 
 銀行にお金を預けていても、ほとんど利子がつかない。むしろ、手数料を取られてばかりである。
 投資、資産運用、ともに大切な勉強なのだから学校や民間でも積極的に教育するシステムが大切である。
 受験勉強だけでなく、21世紀を生きる力を身につける教育を推進したい。

2014年4月16日水曜日

医学部受験


医学部受験をお考えなら専門家庭教師にお任せください。医学部に特化した指導体制で、医学部への合格を実現します。

医学部合格者数は年間9000人を超えるようになった。
平成21年度あたりから増加し始め、あっという間に1700人くらい増加したのだ。

医師国家試験合格率が90%程度ということから医学部合格は医師免許取得により近づく。

是非多くの人に挑戦してもらいたい。

2014年4月14日月曜日

体育会の天下

体育、それは正確には保健体育といって心と体を育てるための課目である。

最近では、体育の家庭教師や体育の先生になりたい人のための予備校まで存在するほど

体育に対して注目が集まっている。

日本では2020年にオリンピックがあるということで、スポーツ界を中心に体育的な教育、イベントが盛り上がっている。

ちなみに、体育で有名な大学は、日本体育大学、順天堂大学、国士舘大学、各種教育関係学部の体育学科である。

体育を通じて得られるものは、体力、忍耐力、精神力、集中力、フェアプレイなどさまざまな精神が学び取れることができる。

また、なんといっても礼儀、とくに立場上、上にいる人に対する礼儀には本当にうるさい。

先輩の言うことは絶対、命令にははいかイエスでしか答えてはいけない、酒の注文、注ぎに走る。

などの習慣がある。なんといっても、この人たちが、教育業界を支配している。

朝は早くてもへっちゃら、休日出勤へっちゃら、むしろ早朝から自分自身がランニングをしてとても気持ちよくなっている。

これに巻き込まれた人は、大変なことだ。

文学、科学、芸術、などのその他の分野は、精神論だけではうまくいかない。

アイディアが大切だし、テンションが高すぎても、脳が興奮しているだけであって

本当にいいものが生まれるわけではない。

なんといっても、思考には熟考がたいせつだ。

思考の整理学というほんでにも書いてあるが、思考は熟成させる必要があるのだ。

たとえば、早朝に出勤をして、グラウンド整備や教室整備をすることを美徳とする集団がいる。

放課後に、パトロールをする人がいるとする。

もちろん、勤務時間ではないため、給料は一円も発生しない

こんな人が、評価されるために、管理職になり年収は1000万円を超える。

申し訳ないが、体育系の大学を出ることで、これほどの高給を取る人が世の中どれくらいいるであろうか。

彼らは完全なる、勝ち組である。

武士道の精神は、体育会の精神へと移り変わり、そこには伝統的な武士のような

誠実な精神ではなく、傲慢で自信過剰な人が多い。

プロ野球選手も、偉そうな人が多いと思う

あのバットを振るためのエネルギーや情熱を、慈善行為に当てればどれだけの人が救われるか

そんなことを言い出したらきりがないが、一般の社会人でもプロ野球選手に負けないくらい

プロであり、社会貢献をしていると考えられる人もたくさんいる

結局、生まれながら体格がよくて、運動神経がよくて、たまたま熱中した競技が

自分にあっていたら社会から評価され、天狗になってしまうのだ。

21世紀は精神論や情熱だけでは生きていけない。

むしろ、そんな考え方はとてもナンセンスで意味のないことである。

この集団の勘違いを早く、解消して、心身ともに健康で

インテリジェンスの高い人が、人をマネジメントする立場にいるようになってもらいたいと思う。

2014年4月10日木曜日

自己肯定感を高める

自己肯定間とは、自分自身を認め、肯定することである。

どれだけ自分に自身があり、自分が好きであるかというふうにいうことできる。

自己肯定間が低い人は、自身を見つけるため、他人のあら捜しをすることが好きだと思う。

何事もよくないことを見つけるのは簡単だ。

ここがだめだ、できていないなど批判しようと思えばいくらでもできる。

日本人の性質なのか、大げさに褒めることが苦手な人が多いのではないか。

褒めて伸ばす、ということばがあるが、達成感や自己肯定間を高める教育が今必要なのではないか。

体罰などの問題により、厳しく、強制的な教育は今後できなくなる。唯一、厳しい部活動でさせ監視の目が厳しく、体罰や暴言は許されない。

しかることも大切だが、できたことを認め、自身を持って次のことに挑戦できるようになってもらいたいものだ。

2014年4月9日水曜日

素直さのすばらしさ

素直であることは教育をするにあたって伸びる条件としてよく言われている。

言われたことを素直に、『はい』と返事をして実行する。

言い返したり、反抗したり、疑問を持ったりしない

そんな生徒や学習者が伸びやすいというのだ。

学ぶことの語源は、『まねぶ』つまりまねをすることから始まる。

まねをするには、自分のやり方やこだわりを置いておいて、人の考えを受け入れることになる。

素直であることは、指導者にとってもとても気持ちがよいものである。

自分の意図したことが率直に伝わるからである。

疑問を持つことも大切であるが、素直に学習し、のびのびと成長することが

教育には大切だと思うことがある。

2014年4月8日火曜日

教育と経済

教育にはお金(税金)がよくかけられていないというが実はとても手厚いものがある。

それは特別支援学級、学校だ。

8人の生徒に対し、教員が2人。介助員がついてくれることもある。

介助員といっても、授業をメインで行うこと以外はほぼ仕事の内容は同じといえる。

いくらか計算できるだろうか。

大雑把に教員500万円×2+介助員300万円+設備・教材費300万円

1600万円÷8=200万円

一般の生徒担任 400万円÷40p+α=10万円~

ということであろう。ほかにも補助や管理職、専門機関などの分を考えればもっと手厚い。

障害がある人にだけでなく、すべての子供のこれくらい手厚くてもいいのではないか。

職がない人もいるわけだし、外部委託するなど業者を入れて経済効果がある可能性もある。

権利というものの恐ろしさを感じずにはいられない。

年寄り、女性、障害者など社会的弱者に保障があるのはいいが、一般の人にも当然保障が同じようにあるべきだと思う。

権利の力が強すぎて、一般の人が搾取され苦しんでいるんではないかと危惧している。

2014年4月7日月曜日

社会が求めているもの

社会が求めているものを教え導くのが学校であり教育といえるだろう。

教育には知育・徳育・体育の3つの分野でバランスのよいものが施される必要がある。

それらの詳しい内容については、普通教育を受けた人にはいう必要がないくらいよくわかっていると思う。

結論を言うと、実は、学校は、搾取を生み出すシステムなのだ。

人々を労働させ、税金、保険、ローンを治めるために働く。

一部のオーナーはそれでゆっくりと暮らしていく。

こんなシステムが整っているのだ。

詳しくは、『金持ち父さん、貧乏父さん』という本を読んでいただいたらと思う。

親は、子供に幸せになってもらいたい。子供も、将来は立派に成長したい。

そんな、お互いの目的のために作られた教育は

実は、搾取へのラインであるのだ。さらに、教育は塾・予備校とそれそのものが

多額の金銭がかかるものだ。大学も授業料は高い。特に私立は一般家庭では奨学金を

借りないと難しいほど高い。

奨学金も、利子がつき金融ビジネス化している面も否定できない。

すべてのこどもの健やかに成長してもらいたい願いはあるが、この社会構造を

何とかしないことには、明るい夢をもって生きていこうなどと言えたもんじゃないとおもう。

2014年4月3日木曜日

さまざまな教育関係サイト

いろいろな教育関係のサイトがネットにはあります。
無料体験、資料請求も無料でできますので資料請求してみてはいかがでしょうか。
英語はスカイプを使ったオンラインでの講座が増えているようです。
オンラインだとお互いどこにいても仕事と学習ができるのでとても便利ですね。




図書カードプレゼント家庭学習の山研社



















 


2014年3月26日水曜日

老人と教育

教育というと、若者に対する言葉であるイメージが強い。

幼児は親に育てられ教育される。

のちに学校に入学し卒業する。

街を見渡してみると、教育が必要だと思う大人をたくさん見る。

マナー、言葉使い、思考力、技術

別に子供じゃなくても学べば身につくものはたくさんある。

学習は子供だけでなく、学びたくなったひとが自主的に行えばいいと思う。

老人も、子供も、障害を持った人も、自分の能力を向上させるために一生教育が必要である。

日本は、こどもの教育ばかりに目を向けすぎていると思う。

時代は変わり、車、パソコンなど日常的に技術を必要とするものが登場する。

技術を教えるためには教育が必要である。

仕事が忙しく、体力も衰え学ぶ余裕が大人になるとなくなってくる。

そんなことではいけないと思う。

すべての人が自由に学び向上できる空間を創造したい。




歴史教育について

歴史は日本史、世界史という科目で高等学校で学習する。

日本史は旧石器時代、縄文時代からはじまり江戸時代までの要点を学習する。

世界史は、地域ごとや年代ごとに主要なものから学習する。

私は歴史は全くの素人であるため、専門的なことは分からないため、あまり多くのことを語るのはおこがましい気がするが、歴史教育は偏りがあると思う。

歴史には解釈が付きまとうものであると思う。のちの学者が、その出来事がどれだけその後の世の変動に役立ったかで価値を定めているのだと思う。

歴史とは、人類が生き抜きてきた証であり、物語である。事実も大切であるが、当時の人たちの感情に寄りそうと、感慨深いものがある。

歴史の学習は教科書だけではない。歴史は建物、遺跡、自然遺産、などの事物にふれることにより学ぶことができる。

例えば、アンコールワットにいってみる。そこには、ジャヤバルマンの時代に栄えた遺跡がたくさんある。石で、当時の様子や、神話について表現しているのだろうか。また、時代によって信仰された宗教が違い、特徴もさまざまである。

あたりまえだとか、これこうだとか、こうであるべきだ。といったこだわりが学校教育には強い。

教育するには、統一感は必要だし、足並みをそろえることが有効であることもあると思う。

だけど、こうして歴史を学び、さまざまな解釈、物語に触れると、自分たちがこだわっていたり

思い込んでいたことが、それほど大したことではないのだと気づいたりするのだと思う。



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2014年3月15日土曜日

卒業式などの儀式の意義

学校においてはたびたび儀式がある。入学式に始まり、卒業式に終わる。

確かに節目となる日ではあるため、セレモニーとして行うことに意義はあるだろう。

実際は、来賓のあいさつ、校長の話、など形式的なお話が多い印象が強いだろう。

形式的に行うことが大好きな公教育は全国でこのようなことが行われている。

いったい、本当に必要なのだろうか。

卒業式は練習も行う。歌も歌う。

とても大変な労力である。

もっと他に勉強することがあるのではないだろうか。

他にも世の中には、結婚式、葬式などがある。

結婚式に関しては、儀式の部分よりもセレモニーの部分のほうが

強調されていると思う。

後百年もすれば、昔話になるのではないかと思う次第である。

2014年3月5日水曜日

語学の勉強について

 以前より子供の語学力は上昇しているのだろうか。小学校にも英語教育が導入され、中学校で

は英語の授業時数が増加している。
 

 塾や英会話学校でも、英語教育に力を入れている。英語を話すことができ、TOEICで高得点を

取る講師は多いと考えられる。
 

 社会人でも自己啓発や趣味で語学学校に通う人も多く、語学を用いた仕事の競争倍率も高くなる。
 語学の学習はより短時間で効率的なものにし、その他の学問に時間をかけたいと私は個人的に考えているので、より自然に楽しみながら学習できる、システムやコミュニティーが自然と地域や街にあるように公共サービスなんかでやってくれないかなーと思ったりする。

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2014年2月27日木曜日

絶対評価と相対評価

 以前は相対評価で通信簿をつけていたが今は絶対評価となっている。相対評価の場合はクラスに必ず1や5をつける人を一定の数設けなければならなく、成績をそのまま相対的につければよいだけだった。今では評価の基準に達しているかどうかで成績が決まる。この評価の基準だが、実際は教師や学校によってまちまちであることがある。
 高校入試においてはこの通信簿の成績が内申点として、入試の資料になる。生徒自身も保護者も成績には敏感で、思ったよりも成績が良くなかった場合に学校に問い合わせたりする人もいるくらいだ。
 どうすれば、良い成績をとることができるか。
まず公立学校の場合は提出物がある。多くの生徒を一度に指導している教員にとって、提出物は評価をする際の客観的で平等な資料になる。
 課題ができていたかどうかで成績をつけることができる。次に、テストで高得点を取らなければならない。塾に行けばとれるようになるのではなく、学校の授業をよく聞き、その先生が重きを置いている内容に注目すべきである。さらに、学校から配布された資料からテストに出題される場合が多い。塾などの問題は力試しに解くのがよいだろう。
 このように成績を上げるコツは確かにあるのだが、学校によって差が出るのでは入試がフェアではない。この問題がどう変化するのか今後楽しみである。




2014年2月26日水曜日

修学旅行の必要性

 修学旅行、それは学校生活の中で一番の思い出という人も多い生徒にとっては楽しみな行事だろう。あるいは、集団で生活することに億劫な人は、長時間の団体行動に疲れたり、気の合わない人と同じ部屋で過ごしたりバスに長時間乗ったりして嫌な記憶を残した人もいるだろう。
 以前は家庭で遠出の旅行をすることはほとんどなかったようだ。所得も低く、国民全体が今よりも貧しい時代のことだろう。そのため、学校で遠出の旅行を企画していたそうだ。ところが、現代では家族旅行は一般的になり、海外旅行に家族で出かけることも少なくはない。
 さて、修学旅行の必要性だが現代においてはどうであろうか。修学旅行は意外とお金がかかる。バスにしろ、宿にしろほぼ貸し切り状態となる必要がある。1泊や2泊の間に過密なスケジュールがあり、観光や体験・観賞など盛りだくさんだ。学校によっては異なるだろうが、何万円ものお金がかかることは間違いない。
 公教育においては、授業料は基本的に無料である。私立にしても毎月学費がかかるが、修学旅行は1カ月の学費よりも高い。学校行事にこれほどのお金を払って得られる学習効果はどれくらいあるのだろうか。
 現場は教員不足である。もしも、修学旅行に投資するお金を教員の人件費に使えたならばあと何人雇えるだろうか。また、人ではなくとも教材を購入したりすることも可能であると思う。
 諸島や地域に住んでいる人にとって、修学旅行はふるさと以外の場所を見られる絶好の機会かもしれないので意義はあるだろう。しかし、政令指定都市をはじめとする都市に住む人にとっては新幹線に乗れば数時間で大都市間を移動でき、今後も個人旅行で行く可能性も十分にある。
 修学旅行はビジネス化されている。一人5万円旅費にかかったとして、100万人の子供がいたなら、500億円のお金がかかっている。経済効果としてよいのかもしれないが、これだけの金銭をかける必要があるのか疑問に思う。逆に、経済的に余裕がありそれくらいのお金はどうってことない人にとっては、それ以外の教育費をもっと投資してもらい、現場の教員の人数確保、教材の整備にあててはどうかと思う。
 今後は、修学旅行は縮小化され、遠足のようなものになってくるかもしれない。現代のような個人主義の時代にこれまでのような修学旅行が必要かどうかは議論が必要であろう。
 



2014年2月24日月曜日

学力と国語力

言語活動が大切だといわれている。最近の生徒は問題を解くことができてもなぜそなるのかといったような論証をすることが苦手な生徒が多いようだ。
実際に社会に出て、人に何かを説明し、納得してもらう場面はたくさんある。同じことを主張しても説明の仕方によって結果が変わってくることがある。
試験問題も文章問題が増えてきた。採点者は、長い文章を多数読んでいる時間はない。だから問題に長い文章をつけて、考えさせる手法をとっているようだ。
私立大学や、大都市の高等学校入試に用いられている。しかし、まだマークシートにするつもりなないみたいだ。いっそのことセンター試験見たいにしてしまえば簡単だろうに。
言葉を使いこなす、訓練はとても大変なことであるが、読書をしたり自ら文章を書いたり、人と議論する中で身につけつことができるのではないかと思う。
英語教育が小学校から行われるようになったが、日本人は日本語で物事を考える。美しく、多様な表現方法を身につけ、人から指導されなくても、本を読んで自然と教養を身につけるような環境になってほしい。