2014年4月14日月曜日

体育会の天下

体育、それは正確には保健体育といって心と体を育てるための課目である。

最近では、体育の家庭教師や体育の先生になりたい人のための予備校まで存在するほど

体育に対して注目が集まっている。

日本では2020年にオリンピックがあるということで、スポーツ界を中心に体育的な教育、イベントが盛り上がっている。

ちなみに、体育で有名な大学は、日本体育大学、順天堂大学、国士舘大学、各種教育関係学部の体育学科である。

体育を通じて得られるものは、体力、忍耐力、精神力、集中力、フェアプレイなどさまざまな精神が学び取れることができる。

また、なんといっても礼儀、とくに立場上、上にいる人に対する礼儀には本当にうるさい。

先輩の言うことは絶対、命令にははいかイエスでしか答えてはいけない、酒の注文、注ぎに走る。

などの習慣がある。なんといっても、この人たちが、教育業界を支配している。

朝は早くてもへっちゃら、休日出勤へっちゃら、むしろ早朝から自分自身がランニングをしてとても気持ちよくなっている。

これに巻き込まれた人は、大変なことだ。

文学、科学、芸術、などのその他の分野は、精神論だけではうまくいかない。

アイディアが大切だし、テンションが高すぎても、脳が興奮しているだけであって

本当にいいものが生まれるわけではない。

なんといっても、思考には熟考がたいせつだ。

思考の整理学というほんでにも書いてあるが、思考は熟成させる必要があるのだ。

たとえば、早朝に出勤をして、グラウンド整備や教室整備をすることを美徳とする集団がいる。

放課後に、パトロールをする人がいるとする。

もちろん、勤務時間ではないため、給料は一円も発生しない

こんな人が、評価されるために、管理職になり年収は1000万円を超える。

申し訳ないが、体育系の大学を出ることで、これほどの高給を取る人が世の中どれくらいいるであろうか。

彼らは完全なる、勝ち組である。

武士道の精神は、体育会の精神へと移り変わり、そこには伝統的な武士のような

誠実な精神ではなく、傲慢で自信過剰な人が多い。

プロ野球選手も、偉そうな人が多いと思う

あのバットを振るためのエネルギーや情熱を、慈善行為に当てればどれだけの人が救われるか

そんなことを言い出したらきりがないが、一般の社会人でもプロ野球選手に負けないくらい

プロであり、社会貢献をしていると考えられる人もたくさんいる

結局、生まれながら体格がよくて、運動神経がよくて、たまたま熱中した競技が

自分にあっていたら社会から評価され、天狗になってしまうのだ。

21世紀は精神論や情熱だけでは生きていけない。

むしろ、そんな考え方はとてもナンセンスで意味のないことである。

この集団の勘違いを早く、解消して、心身ともに健康で

インテリジェンスの高い人が、人をマネジメントする立場にいるようになってもらいたいと思う。

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