2014年2月27日木曜日

絶対評価と相対評価

 以前は相対評価で通信簿をつけていたが今は絶対評価となっている。相対評価の場合はクラスに必ず1や5をつける人を一定の数設けなければならなく、成績をそのまま相対的につければよいだけだった。今では評価の基準に達しているかどうかで成績が決まる。この評価の基準だが、実際は教師や学校によってまちまちであることがある。
 高校入試においてはこの通信簿の成績が内申点として、入試の資料になる。生徒自身も保護者も成績には敏感で、思ったよりも成績が良くなかった場合に学校に問い合わせたりする人もいるくらいだ。
 どうすれば、良い成績をとることができるか。
まず公立学校の場合は提出物がある。多くの生徒を一度に指導している教員にとって、提出物は評価をする際の客観的で平等な資料になる。
 課題ができていたかどうかで成績をつけることができる。次に、テストで高得点を取らなければならない。塾に行けばとれるようになるのではなく、学校の授業をよく聞き、その先生が重きを置いている内容に注目すべきである。さらに、学校から配布された資料からテストに出題される場合が多い。塾などの問題は力試しに解くのがよいだろう。
 このように成績を上げるコツは確かにあるのだが、学校によって差が出るのでは入試がフェアではない。この問題がどう変化するのか今後楽しみである。




2014年2月26日水曜日

修学旅行の必要性

 修学旅行、それは学校生活の中で一番の思い出という人も多い生徒にとっては楽しみな行事だろう。あるいは、集団で生活することに億劫な人は、長時間の団体行動に疲れたり、気の合わない人と同じ部屋で過ごしたりバスに長時間乗ったりして嫌な記憶を残した人もいるだろう。
 以前は家庭で遠出の旅行をすることはほとんどなかったようだ。所得も低く、国民全体が今よりも貧しい時代のことだろう。そのため、学校で遠出の旅行を企画していたそうだ。ところが、現代では家族旅行は一般的になり、海外旅行に家族で出かけることも少なくはない。
 さて、修学旅行の必要性だが現代においてはどうであろうか。修学旅行は意外とお金がかかる。バスにしろ、宿にしろほぼ貸し切り状態となる必要がある。1泊や2泊の間に過密なスケジュールがあり、観光や体験・観賞など盛りだくさんだ。学校によっては異なるだろうが、何万円ものお金がかかることは間違いない。
 公教育においては、授業料は基本的に無料である。私立にしても毎月学費がかかるが、修学旅行は1カ月の学費よりも高い。学校行事にこれほどのお金を払って得られる学習効果はどれくらいあるのだろうか。
 現場は教員不足である。もしも、修学旅行に投資するお金を教員の人件費に使えたならばあと何人雇えるだろうか。また、人ではなくとも教材を購入したりすることも可能であると思う。
 諸島や地域に住んでいる人にとって、修学旅行はふるさと以外の場所を見られる絶好の機会かもしれないので意義はあるだろう。しかし、政令指定都市をはじめとする都市に住む人にとっては新幹線に乗れば数時間で大都市間を移動でき、今後も個人旅行で行く可能性も十分にある。
 修学旅行はビジネス化されている。一人5万円旅費にかかったとして、100万人の子供がいたなら、500億円のお金がかかっている。経済効果としてよいのかもしれないが、これだけの金銭をかける必要があるのか疑問に思う。逆に、経済的に余裕がありそれくらいのお金はどうってことない人にとっては、それ以外の教育費をもっと投資してもらい、現場の教員の人数確保、教材の整備にあててはどうかと思う。
 今後は、修学旅行は縮小化され、遠足のようなものになってくるかもしれない。現代のような個人主義の時代にこれまでのような修学旅行が必要かどうかは議論が必要であろう。
 



2014年2月24日月曜日

学力と国語力

言語活動が大切だといわれている。最近の生徒は問題を解くことができてもなぜそなるのかといったような論証をすることが苦手な生徒が多いようだ。
実際に社会に出て、人に何かを説明し、納得してもらう場面はたくさんある。同じことを主張しても説明の仕方によって結果が変わってくることがある。
試験問題も文章問題が増えてきた。採点者は、長い文章を多数読んでいる時間はない。だから問題に長い文章をつけて、考えさせる手法をとっているようだ。
私立大学や、大都市の高等学校入試に用いられている。しかし、まだマークシートにするつもりなないみたいだ。いっそのことセンター試験見たいにしてしまえば簡単だろうに。
言葉を使いこなす、訓練はとても大変なことであるが、読書をしたり自ら文章を書いたり、人と議論する中で身につけつことができるのではないかと思う。
英語教育が小学校から行われるようになったが、日本人は日本語で物事を考える。美しく、多様な表現方法を身につけ、人から指導されなくても、本を読んで自然と教養を身につけるような環境になってほしい。




2014年2月23日日曜日

ストレスと学習

学習の妨げはやはりストレスではないだろうか。ストレスにより記憶力は低下し、意欲も低下する。

家庭、学校、塾いずれにせよ、ストレスなくリラックスした環境で学習できる環境があることが望まれる。

ストレスをためないに越したことはないが、ストレスがたまった時の解消方法を持っておくことが大切であろう。

体を動かす、音楽を聴く、気の合う人と会話をする、など何でもよいがストレスなく、無理なく学習できることが大切だと思う。

現代社会はストレスが多いのか、それとも便利になりすぎてちょっとしたことでストレスを感じてしまうような世の中なのか議論が必要だと思うが、ストレスにより学習の障害となる。

安息を十分に持ち、リラックスした環境で優雅に学びたいものである。









2014年2月22日土曜日

4年前の記憶と教育

 4年前、バンクーバーオリンピックがカナダで行われていた時、私はカナダのトロントにいた。
ホームステイ先のおばあちゃんに『あなたの夢は何?日本で就職して次は何がしたいの?』
カナダに戻ってきて、大学に行くのもいいし、働くのもいい。
可能性はたくさんあるんだから、夢を持ってやりたいことをやるべきよ。といったような話を聞いた。
日本において、年齢はとても大切なバロメーターだ。就職も、若者のほうが有利であるが賃金は安く、年配者は一度リストラにあったりすると再就職が難しい。
  大学、専門学校、予備校、各種学校いずれにせよ、人が学びたくなった時、何かにチャレンジしたくなったときに、年齢、性別に関係なく学べる環境や文化があるといいと思う。
 実際日本は、子供に強制的に教育をさせ、受験をさせ、18歳まではほぼ義務教育のようなものである。実際、学問には不向きで、現場で技術等の経験を積んだほうがよい人もたくさんいるが高等学校に進学し、無駄な時間を過ごす人も少なくない。
 学ぶ権利は、すべての人にある。学びたくない人に強制的に学ばせ、働きたくない人に強制的に働かせる、管理的な制度やシステムをもっと多様で柔軟な現代的なものに変えるべきではないかと思う。
 年齢による差異に関しては、確かに発達段階に応じた学習や教育が必要であり、子供はそれを受ける権利がある。しかし、年齢に応じてすべての人が同じように発達するとは限らない。学習に関しては飛び級や、進学コースを設けるなど、公立は民間に学び、民間は利益や実績、効率にこだわらない公立に学ぶとよいと思う。すべての人が学びやすく自己実現しやすい環境ができればいいと思う。









食育について

 食育は近年重要な教育内容として注目されている。小中学校では多くが給食を通じてそれらを学んでいるようである。
 健康には、早寝、早起き、朝ごはんと言われたりもしたものだ。朝ごはんを食べていないと、体温の上昇などに影響があり学習に対する集中力も落ちてしまうのだという。
 現代は美食文化である。コンビニの食べ物でもおいしいものがたくさんある。おでんや、あんまん、肉まん、など一人暮らしの学生はコンビニの弁当で事足りるのではないだろうか。
 脳を生かすためには、DHAが大切だとか、カルシウムが大切だとかいろいろな話をよく聞く。実際、各家庭の好みで毎日の食事が行われており、教育と食べることはそれほど重視されていないのではないだろうか。
 給食で栄養を補っているからよいだろうと思う人もいると思う。実際給食は、安心で安全、さらにおいしく作ろうと努力されているようである。しかし、価格は公共の事業であるため高くすることはできず。結局仕入れる食材は安価な質の悪いものになっているのではないだろうか。牛乳も毎日本当に飲む必要があるのだろうか。日本人はお茶でいいような気がする。しかも、飲み物を毎日購入する必要がなぜあるのか。せめてミネラルウォーターでよい。
 体にもよく、成長や学習にもっともよい食事、そして個人に応じた食事の研究が今後もされることを期待している。
 そして、世界一の美食文化と言われる日本の食事を存分に楽しんでもらいたい。





2014年2月21日金曜日

やる気と関心・意欲

  教育委員会の教育長と教育委員長を同じにするなど、教育業界は改革に燃えている。

入試制度に関しても、見直しをしようという動きがあり、東京大学は秋入学を検討すると

発表している。

 
 子供やその他大人でも、何かを学ぶときに大切なものは何か。

それは、やる気や関心・意欲であると思う。

どんなに能力が高かろうと、低かろうと、懸命に取り組めば人は必ず成長する。

子供の中にも教師が諦めてしまうほど学習が苦手な生徒が、努力を重ねた結果、驚くほどの成長を見せる者もいる。

また、当初は優秀であり将来有望な生徒であっても真面目に取り組まなければ落ちこぼれる。

人は面白いことや、熱中できることでないと頑張ることができないものだと思う。

楽しかったり、やりがいや達成感があれば、自然とやる気や関心、意欲もわいてくるものだと思う。

ようは、いくら何を改革しようとも。どんな教材や教師を準備しようとも。

学習者本人に、やる気、好奇心、関心・意欲などの前向きな気持ちがなければ何も変わらないのだ。

やる気を出すには、感動体験、夢、あこがれなどといった強烈なイメージの経験が必要なのではないだろうか。

その部分を引き出す方法を最優先にするべきだと思う。

体裁や制度だけ変化させても効果はあまりないだろう。