2014年9月25日木曜日

子供と安全

安全に生きるということは何よりも大切ではないだろうか。

教育とは未来に対する投資である。

今日学んだことが明日すぐに役立つとは限らないが将来的にいろいろな意味で役に立ってくるのが教育ではないかと考える。

そこで、人の生命に関する教育は最大限やってもやりすぎることは無いと思う。

受験勉強の忙しさに比べると生命や安全に関わる教育は厳しくされているとは思えない。

ここ最近のニュースでは、小学生が誘拐され殺害されるという事件があった。

また、小学生がマンションから飛び降りて亡くなるということもあった。

命の大切さ、尊さ、じぶんの身は自分で守るという教育を徹底して行う必要がある。

また、子供以外の大人はみんなで子供たちの安全を守らなければならない。

なぜなら、大人になっている人は子供のときに多くの人に守られながらここまで生きてきたのだから。

地震や大雨といった災害でも子供が儀税になる。少子化である日本では子供はますます貴重な人材であるので、安全に健やかに生きる教育を社会全体で作り上げていきたい。

行事と授業

学校には年中行事がある。運動会に文化祭や合唱祭などまさに祭りという名のふさわしい行事がたくさんある。

行事は特別活動と呼ばれている。たしか修学旅行などの宿泊を伴う行事もそれにあたるだろう。

教員は行事ごとになるととても忙しくなる。教科や性別キャリアなどに関わらず、全員が行事の指導に当たる。

これが本当に1年に一回の、特別な祭りならよいだろう。

前日と当日だとかそれくらいの準備と本番に要する時間であればなんら問題は無いと思う。

今は、学力の向上が求めれれている時代だ。ペーパー試験は前提として、実際の世の中で通用する能力を身に付けるべきだということだ。

行事には子供が成長する仕組みがたくさんある。係活動を通じて勤労観を養ったり自身を付けさせたり、リーダー的な生徒を中心にクラスを団結させることもできる。

それはそれでよい。

でも21世紀は個人の時代といわれているし、学力向上や、個別のニーズにあった教育を求めるというのであれば、行事はやめるかかなり縮小すべきである。

部活動やクラブ活動、ボランティアなどで行事で学べるものは学ぶことができる。必ずしも学校でやらなければいけないものではない。

学校は、授業を受けるところである。授業の一環で、博物館や動物園に自由に行ってみたりしたいものだがそうはいかないようである。

一番困るのは、毎年やっているから今年もやるだ。それでは進歩が無い。

古木を訪ねつつも新しいものを取り入れていくべきだと思う。