2014年2月26日水曜日

修学旅行の必要性

 修学旅行、それは学校生活の中で一番の思い出という人も多い生徒にとっては楽しみな行事だろう。あるいは、集団で生活することに億劫な人は、長時間の団体行動に疲れたり、気の合わない人と同じ部屋で過ごしたりバスに長時間乗ったりして嫌な記憶を残した人もいるだろう。
 以前は家庭で遠出の旅行をすることはほとんどなかったようだ。所得も低く、国民全体が今よりも貧しい時代のことだろう。そのため、学校で遠出の旅行を企画していたそうだ。ところが、現代では家族旅行は一般的になり、海外旅行に家族で出かけることも少なくはない。
 さて、修学旅行の必要性だが現代においてはどうであろうか。修学旅行は意外とお金がかかる。バスにしろ、宿にしろほぼ貸し切り状態となる必要がある。1泊や2泊の間に過密なスケジュールがあり、観光や体験・観賞など盛りだくさんだ。学校によっては異なるだろうが、何万円ものお金がかかることは間違いない。
 公教育においては、授業料は基本的に無料である。私立にしても毎月学費がかかるが、修学旅行は1カ月の学費よりも高い。学校行事にこれほどのお金を払って得られる学習効果はどれくらいあるのだろうか。
 現場は教員不足である。もしも、修学旅行に投資するお金を教員の人件費に使えたならばあと何人雇えるだろうか。また、人ではなくとも教材を購入したりすることも可能であると思う。
 諸島や地域に住んでいる人にとって、修学旅行はふるさと以外の場所を見られる絶好の機会かもしれないので意義はあるだろう。しかし、政令指定都市をはじめとする都市に住む人にとっては新幹線に乗れば数時間で大都市間を移動でき、今後も個人旅行で行く可能性も十分にある。
 修学旅行はビジネス化されている。一人5万円旅費にかかったとして、100万人の子供がいたなら、500億円のお金がかかっている。経済効果としてよいのかもしれないが、これだけの金銭をかける必要があるのか疑問に思う。逆に、経済的に余裕がありそれくらいのお金はどうってことない人にとっては、それ以外の教育費をもっと投資してもらい、現場の教員の人数確保、教材の整備にあててはどうかと思う。
 今後は、修学旅行は縮小化され、遠足のようなものになってくるかもしれない。現代のような個人主義の時代にこれまでのような修学旅行が必要かどうかは議論が必要であろう。
 



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