2017年7月30日日曜日

共生社会と競争社会

神奈川県の相模原市にあった障がい者福祉施設で痛ましい殺人事件があってから1年が過ぎた。

この事件をきっかけにネットや巷では、賛否が両論したそうだ。殺人は絶対に許されないことである

。法律上・道徳的に広く人々に認識されている概念である。問題は、犯人の動機の本質的な部分に賛同する人たちがいることである。

障がい者は、死んだほうが幸せだ。社会も障がい者を必要としていない。親も大変だ。

このような差別意識から生まれた、殺人の動機なのだろうか。

個人的に犯人は障がい者に嫉妬をしていたのかもしれないと思った。軽度の知的な遅れがあるかないかの程度で、精神的に社会的支援を必要としていた人なのかもしれない。

じぶんだって、苦労して、命がけでいきている。むしろ、健常者の中でできそこないと、けなされ差別されてきたのではないかと創造した。

支援が必要な人はたくさんいる。怪我をした人、病気をした人、精神に病を患った人。

困った人たちが、障がい者と明確に認められ、社会から手厚く支援をされている人をみてうらやましく思う気持ちも理解できるが、殺人で何かが解決する訳では決して無い。

教育には無限の可能性がある。障がいを持った人でも、適切な教育を受け、本人が努力をすれば立派な社会人として、生涯働き続けることができる。

訓練を受けることで、障がいを克服し、自立して一人で生活をし、家族を築くこともできる。

人はほっといたら勝手に大人になるわけでない。みんな、それぞれが専門的な教育や指導を学校や職場で受けながら、一人の大人として成長して行くわけである。

動物は、親がいなくても、食べる・寝る・繁殖するといった行為は、遺伝的に伝承されていて本能的に行うことができる。

例えば、犬がわん、ねこがにゃー と泣く練習を親としていることは見たことがない。

人は特殊な生き物で、先人が培ってきたものが大きすぎるため全部見て覚えろ、自然とできるようになる。なんていうことは無理なのである。

計画的に、その人の実態に合った教育プログラムが準備されるべきである。

そんなわけで、障がい者がいることは全くおかしなことではなく、健常者と同じように、しっかり教育を受けて立派な大人になることができる。

重い病気を患って、ずっと寝たきりの人もいるかもしれない。そういった人からは、病気の治療や患者のケアの方法について学べるかもしれない。

一方、健常者は、まずは高校・大学受験。そして20代で明確に年収や学歴・肩書きという形でその人のステータスが決められてしまう。とてもシビアな世界に生きている。少子高齢化で、財政的にも若者に厳しい時代に戦って、収入、配偶者、自己の確立をしなければならない。

そんな厳しい生き方をしながら、別の世界のような施設でそんな障がい者が社会保障のお金を使いながら暮らしているとしたらどう思うだろうか。

より良いものをもとめるのに競争は必要である。人の幸せや、豊かなくらしには共生が必要である。

教育の力で、人が人らしくいきいきと気持ちよく生きていける世の中になると嬉しく思う。

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