2015年10月26日月曜日

教育に関わる仕事

 教育に関わる仕事といえば様々なものがある。一般的に教育者は教師とか先生とか呼ばれるのだと思うが、英会話スクールの講師、スポーツなどのインストラクター、大学の教授など教育に関わる仕事は本当にたくさんある。

 教育に関わる仕事で安定した給与をもらって生活をしようと思うと、まず公立学校の教員が思いつくだろう。小・中・高等学校の教員である。

 保育園、幼稚園の教員もかなりの数があるだろうが私立の施設が多く、公立は地域に寄るだろうが比較的少数なのだと考えられる。

 ここで問題にしたいのが、非常勤講師という立場の人である。来年の仕事があるかわからない、1年契約の講師である。

 非常勤講師は、授業単価が2000~3000円程度であると聞いている。生徒が少人数学級であるが30人いるならば、一人当たりは100円の授業である。

 非常勤講師の、生活は苦しいと聞く。本業が他にあり、時間があるので経験も含めやっている場合は別であろうが、これだけで生活を成り立たせるのはとても大変なことであろうと推察する。

 非常勤講師は、市場に求人が出てきにくいのではないかと思う。特に公立の場合は、クラスの数が決定するまで2,3月の直前まで時間がかかることがある。

 理由は私立の高等学校を受験して合否が出るためである。クラスの数が変わると校内の授業数も変わり、必要とされる教員の数が変化するからである。

 予備校講師の場合はどうであろうか?予備校講師は、実力主義の世界であるときく。アンケートや、講習を受講する生徒の数で給与が決まったり、次の時期から仕事が無くなったりすることがあるのだ。

 少子高齢化社会において、1家族に対する子供の数は減ってきている。3人以上子供がいる家庭のほうが少ないのではないかと思う。ということは、一人当たりの子供に対する教育費は高くなり全体としては過去と変わらないのではないかと思う。

 英会話、スポーツもブームがあり、最近ではヨガスタジオなどが増えてきている。その業界の人々は社会の動向を見ながら流行のものを常に探していかなければいけない。

 教育者の立場や身分や賃金、精神が安定していなければ当然安定した教育は施すことはできない。まして相手は人間であるので、より良いものが世に提供されることを期待したい。

2015年10月6日火曜日

保護者の責任と要求

 学校現場にはしばしば保護者(親)からの要求やクレームが来ることがある。成績が間違っているとか、教師が生徒を殴って傷つけてしまったなんていうことなら文句を言われても仕方が無いんだと思う。

でも、中には理不尽な要求や、家庭教育そのものが成り立っていない場合があり、家庭教育で行うべきものを学校や教師に押し付けて場合がある。

 子供が万引きや喫煙をしたとする。万引きは窃盗であり、何歳になっても許されることの無い犯罪である。

喫煙も、20歳まではしてはいけないことで18,19歳であっても犯罪なのだ。こういったことが中高生に起こると、教師が指導をしなければいけない場合がある。

犯罪なので警察にお世話になることもあるが、こういった非行を学校が知った場合にはなんらかの対応を求められるのが昨今の事情である。

 上記のような犯罪を犯す子供の原因として、家庭での教育が十分ではないことがある。喫煙を許容してしまったり、物をとってもやんちゃでいいなといったような、昔のヤンキーみたいな人がかっこいいと思う文化があったりして、犯罪を親が認めてしまっているのではないかと思う。

こういったことが周りの保護者や社会に伝わると、先生が悪いんだ、全校集会をして二度と無いように周知徹底をしろなどろいわれる。
 
 生徒同士のトラブルや、軽度ないじめが起きた場合でも学校や教員の対応が悪いんだと教員が責められることがある。

 保護者は子供に普通教育を受けさせるだけでなく、”しつけ”をしっかりとすることが大切なのにそれをせずに学校に子供が来て、問題を起こして、その対応でものすごい時間と労力を要する。

 保護者は要求をするだけでなく、自分たちの家庭で行うべき教育をする責任があるのだ。

2015年7月4日土曜日

家族の多様化

日本人の一般的な家庭といえば、夫婦がいてそこに1~3人程度の子供がいるような一般的な家庭を想像するだろう。

昭和の初期の時代には、父・母だけでなく、祖父・祖母も同居する、3世代同居、さらに父か母の兄弟も同居している場合が多かったというふうに聞いている。

昔の一般的な日本らしい家庭の象徴として、サザエさんを持ち出すことが多い。実際には、今ではサザエさんのような家庭は少なく。ほんの数%になっているのではないだろうか。

渋谷区では、性的少数者の結婚を認めるような条例ができた。そのため、同性が家族を形成することも十分に考えられる。

家族は社会の最小単位であり、家庭は子供が最も教育される場所である。

母子家庭では、母親は働きに出ているので。子供が帰ってきてからも面倒を見ることがなかなか難しい。

母親が再婚したため、実際の父親ではない男性と同居する者もいる。

こういった社会の多様化に対応できる地域、社会、教育環境を確保しなければならない。

家庭が多様化するということは、教育も多様化するということだ。経済的に負担のかからない方法で、心豊かに子供が勉強し、成長できる環境を構築したい。

2014年9月25日木曜日

子供と安全

安全に生きるということは何よりも大切ではないだろうか。

教育とは未来に対する投資である。

今日学んだことが明日すぐに役立つとは限らないが将来的にいろいろな意味で役に立ってくるのが教育ではないかと考える。

そこで、人の生命に関する教育は最大限やってもやりすぎることは無いと思う。

受験勉強の忙しさに比べると生命や安全に関わる教育は厳しくされているとは思えない。

ここ最近のニュースでは、小学生が誘拐され殺害されるという事件があった。

また、小学生がマンションから飛び降りて亡くなるということもあった。

命の大切さ、尊さ、じぶんの身は自分で守るという教育を徹底して行う必要がある。

また、子供以外の大人はみんなで子供たちの安全を守らなければならない。

なぜなら、大人になっている人は子供のときに多くの人に守られながらここまで生きてきたのだから。

地震や大雨といった災害でも子供が儀税になる。少子化である日本では子供はますます貴重な人材であるので、安全に健やかに生きる教育を社会全体で作り上げていきたい。

行事と授業

学校には年中行事がある。運動会に文化祭や合唱祭などまさに祭りという名のふさわしい行事がたくさんある。

行事は特別活動と呼ばれている。たしか修学旅行などの宿泊を伴う行事もそれにあたるだろう。

教員は行事ごとになるととても忙しくなる。教科や性別キャリアなどに関わらず、全員が行事の指導に当たる。

これが本当に1年に一回の、特別な祭りならよいだろう。

前日と当日だとかそれくらいの準備と本番に要する時間であればなんら問題は無いと思う。

今は、学力の向上が求めれれている時代だ。ペーパー試験は前提として、実際の世の中で通用する能力を身に付けるべきだということだ。

行事には子供が成長する仕組みがたくさんある。係活動を通じて勤労観を養ったり自身を付けさせたり、リーダー的な生徒を中心にクラスを団結させることもできる。

それはそれでよい。

でも21世紀は個人の時代といわれているし、学力向上や、個別のニーズにあった教育を求めるというのであれば、行事はやめるかかなり縮小すべきである。

部活動やクラブ活動、ボランティアなどで行事で学べるものは学ぶことができる。必ずしも学校でやらなければいけないものではない。

学校は、授業を受けるところである。授業の一環で、博物館や動物園に自由に行ってみたりしたいものだがそうはいかないようである。

一番困るのは、毎年やっているから今年もやるだ。それでは進歩が無い。

古木を訪ねつつも新しいものを取り入れていくべきだと思う。

2014年7月21日月曜日

夏休みとは

夏休みといえば子供たちの中でも一番の楽しみごとではないだろうか。

海水浴に、夏祭りの縁日、花火に夕方まで明るく外で遊んでいられるなど楽しみが盛りだくさんだ。

教員にとっても夏休みは一番といってもよいほどの楽しみごとである。

以前は自宅研修という名の下、学校に出勤しなくとも自宅で研修しているということで

休みを取ることができたらしい。今では、管轄の区市町村の研修を受けたり多幸の教員と研修会を

設けたりと、研修のよい機会となっている。

一方、教育的観点からは不の要素もある。やはり、非行に走ってしまう少年少女が多くなるのもこの時期ではないだろうか。

また、そういった子供同士が他の学校や地域の人と結びつきが強くなりやすい時期なのではないだろうか。

かつて、夏休みが終わると髪の毛の色が変わっているなんていうことも日常茶飯事だった。

近年は少し減少してきたのだろうか。

一方、学校ではなく学習塾や予備校にとってはかき入れ時だ。夏期講習をとらせることで多額の受講料を取ることができる。

何よりも、塾等の評判をあげるためには合格実績や成績を向上させることが一番保護者から評価されることなのだから、苦手分野を徹底的に鍛え上げるにはお互いにとって利益がある次期である。

夏休みは受験生の四天王山であるなんてう言葉を聞いたことがある。普段の家庭学習の何時間もの時間が取れるのであるから、これほど貴重な時間はない。

夏休みを利用して学力が飛躍的に向上するような生徒は、正直普段から学校に登校する意義はあるのだろうか。
行事や学級活動や部活動を通じて社会性を身につけることはとても大切なことであるが、最高学歴である大学受験を控えている高校3年生にとってはもっと柔軟なシステムがあってもいいのではないかとも思える。

例えば午前中は教養の一般授業で午後は塾か学校の補習か自主勉強など選択できてもよいと思う。

進路の都合で、受験科目が変更し、学校の授業と合わないこともよくあることだ。

教員にとっても夏休みは海外旅行ができる絶好のチャンスだ。受験生たちは、クーラーのきいた部屋の中一生懸命に勉強しているだろうが、教員は違う。
ローマ、パリ、オーストラリアなど何でもありだ。

6月下旬にボーナスが支給されていて、夏季休業中も授業をしているわけではないが8月にはきちんと給与が支払われる。

教員にとっても夏休みは一年に一度の有意義な時間なのだ。

夏休み苦しむのは、塾の先生、進学校の高等学校の先生の補修、そして受験生ではないだろうか。

暑い夏くらいみんなでバカンスを楽しんで経済効果を生みたいものである。

2014年7月10日木曜日

仕事ができるとは

仕事ができる人というとあなたはどんな人を想像するだろうか。

事務処理が早い人、知識が豊富で判断が適切で早い人

コミュニケーション能力が高く、交渉や商談がうまい人

いろいろな面で仕事ができるできないというわけ方ができる。

教育の世界では”授業力”がある先生が仕事ができる人と思われる。

と思った人が多いと思うが、それは真っ赤なうそである。

正確にはうそではなく、それでは周りの教員や保護者から信頼を得ることができないのである。

教員には”指導力”、”外部折衝能力””対教員間のコミュニケーション能力”が求められる。

具体的にいうと、管理職(校長・副校長)から支持を得ておけば出世は早い。

そこに授業力、指導力は関係ない。

やってる。実績が大切なのである。

特にすごいことをしなくても、見せ方がうまい人は調子よく評価を受ける。

授業の準備をいくらがんばってもまったく評価されない。

そんなことがある。

要は調子のいい人が得をするようになっているといってもいい。

そんな人たちが仕事ができると評価され

昇進して管理職になり、職場や子供の教育環境を悪化させる現状がある。