2014年2月23日日曜日

ストレスと学習

学習の妨げはやはりストレスではないだろうか。ストレスにより記憶力は低下し、意欲も低下する。

家庭、学校、塾いずれにせよ、ストレスなくリラックスした環境で学習できる環境があることが望まれる。

ストレスをためないに越したことはないが、ストレスがたまった時の解消方法を持っておくことが大切であろう。

体を動かす、音楽を聴く、気の合う人と会話をする、など何でもよいがストレスなく、無理なく学習できることが大切だと思う。

現代社会はストレスが多いのか、それとも便利になりすぎてちょっとしたことでストレスを感じてしまうような世の中なのか議論が必要だと思うが、ストレスにより学習の障害となる。

安息を十分に持ち、リラックスした環境で優雅に学びたいものである。









2014年2月22日土曜日

4年前の記憶と教育

 4年前、バンクーバーオリンピックがカナダで行われていた時、私はカナダのトロントにいた。
ホームステイ先のおばあちゃんに『あなたの夢は何?日本で就職して次は何がしたいの?』
カナダに戻ってきて、大学に行くのもいいし、働くのもいい。
可能性はたくさんあるんだから、夢を持ってやりたいことをやるべきよ。といったような話を聞いた。
日本において、年齢はとても大切なバロメーターだ。就職も、若者のほうが有利であるが賃金は安く、年配者は一度リストラにあったりすると再就職が難しい。
  大学、専門学校、予備校、各種学校いずれにせよ、人が学びたくなった時、何かにチャレンジしたくなったときに、年齢、性別に関係なく学べる環境や文化があるといいと思う。
 実際日本は、子供に強制的に教育をさせ、受験をさせ、18歳まではほぼ義務教育のようなものである。実際、学問には不向きで、現場で技術等の経験を積んだほうがよい人もたくさんいるが高等学校に進学し、無駄な時間を過ごす人も少なくない。
 学ぶ権利は、すべての人にある。学びたくない人に強制的に学ばせ、働きたくない人に強制的に働かせる、管理的な制度やシステムをもっと多様で柔軟な現代的なものに変えるべきではないかと思う。
 年齢による差異に関しては、確かに発達段階に応じた学習や教育が必要であり、子供はそれを受ける権利がある。しかし、年齢に応じてすべての人が同じように発達するとは限らない。学習に関しては飛び級や、進学コースを設けるなど、公立は民間に学び、民間は利益や実績、効率にこだわらない公立に学ぶとよいと思う。すべての人が学びやすく自己実現しやすい環境ができればいいと思う。









食育について

 食育は近年重要な教育内容として注目されている。小中学校では多くが給食を通じてそれらを学んでいるようである。
 健康には、早寝、早起き、朝ごはんと言われたりもしたものだ。朝ごはんを食べていないと、体温の上昇などに影響があり学習に対する集中力も落ちてしまうのだという。
 現代は美食文化である。コンビニの食べ物でもおいしいものがたくさんある。おでんや、あんまん、肉まん、など一人暮らしの学生はコンビニの弁当で事足りるのではないだろうか。
 脳を生かすためには、DHAが大切だとか、カルシウムが大切だとかいろいろな話をよく聞く。実際、各家庭の好みで毎日の食事が行われており、教育と食べることはそれほど重視されていないのではないだろうか。
 給食で栄養を補っているからよいだろうと思う人もいると思う。実際給食は、安心で安全、さらにおいしく作ろうと努力されているようである。しかし、価格は公共の事業であるため高くすることはできず。結局仕入れる食材は安価な質の悪いものになっているのではないだろうか。牛乳も毎日本当に飲む必要があるのだろうか。日本人はお茶でいいような気がする。しかも、飲み物を毎日購入する必要がなぜあるのか。せめてミネラルウォーターでよい。
 体にもよく、成長や学習にもっともよい食事、そして個人に応じた食事の研究が今後もされることを期待している。
 そして、世界一の美食文化と言われる日本の食事を存分に楽しんでもらいたい。





2014年2月21日金曜日

やる気と関心・意欲

  教育委員会の教育長と教育委員長を同じにするなど、教育業界は改革に燃えている。

入試制度に関しても、見直しをしようという動きがあり、東京大学は秋入学を検討すると

発表している。

 
 子供やその他大人でも、何かを学ぶときに大切なものは何か。

それは、やる気や関心・意欲であると思う。

どんなに能力が高かろうと、低かろうと、懸命に取り組めば人は必ず成長する。

子供の中にも教師が諦めてしまうほど学習が苦手な生徒が、努力を重ねた結果、驚くほどの成長を見せる者もいる。

また、当初は優秀であり将来有望な生徒であっても真面目に取り組まなければ落ちこぼれる。

人は面白いことや、熱中できることでないと頑張ることができないものだと思う。

楽しかったり、やりがいや達成感があれば、自然とやる気や関心、意欲もわいてくるものだと思う。

ようは、いくら何を改革しようとも。どんな教材や教師を準備しようとも。

学習者本人に、やる気、好奇心、関心・意欲などの前向きな気持ちがなければ何も変わらないのだ。

やる気を出すには、感動体験、夢、あこがれなどといった強烈なイメージの経験が必要なのではないだろうか。

その部分を引き出す方法を最優先にするべきだと思う。

体裁や制度だけ変化させても効果はあまりないだろう。



2014年2月20日木曜日

教育の優先順位

 国レベルで教育は何を優先順位として高くするのか悩んでいるように思える。 東京で2020年にオリンピックがあるということで、スポーツ教育に力を入れてくることは間違いないだろう。
  また、PISAという国際学力試験の結果が悪いとかいうことで、脱ゆとり教育のながれがあり学力向上を求めていることも近年の流れであろう。 学力は、今のところ、試験の点数と考えていいようだ。難関大学にも、ペーパー試験で高得点を取れば入学することができる。  子供が学ぶ学校では様々な問題がある。まず、教員の仕事が多忙であることだ。 生活指導、進路指導、保護者対応、学校行事などと並行しながら授業の教材開発、授業準備をしなければならない。 しかも、学校というのは中小企業みたいなもので学校単位で組織が閉鎖されており、同じことを教えているのに教材をシェアしようなんていう流れは全く感じられない。 とても、非効率的な社会である。 そんな中、サービス業の過剰なサービスが原因か、教育業界にも同様に要望が多数寄せられる。 写真に子供が映っていない、説教された内容に不満がある。 あれしてくれ、これしてくれ。登下校中の見回り、下校後の指導など地域の人からの要望も多い。  学校は人間教育をするとことであるが、あくまで学習をするために行くところである。 つまり、授業を通じて勉強するところである。 時間を守る、ルールを守るといった基本的なところも、もちろん大切であるが。 あれもこれも、やれということで、要望が多すぎる。 結果、多くの生徒は受験のために塾へ行き学ぶ。

しかし、部活動をしている生徒などは、土日も活動があり、放課後の遅い時間に塾にいっても睡眠不足になり 授業中に寝てしまったり、学校でイライラして友達とトラブルを犯してしまったりする。 家庭は共働きが増え、両親が帰ることが遅くなることも多い。 学校だけでは、子供の面倒をみることができないので。民間と行政が一体となって教育に参画する方法はないものだろうか。 もちろん、予算がないことは分かっているが。日本人は60歳以上の人が多くの資産を抱えている。 こういう資産を、教育のような未来への産業に使えないのかなと思ってしまう。 世界で戦える学力向上のためには、環境を整備していかなければいけない。 一体、何を優先順位上位に置くかが今後も注目される。





2014年2月19日水曜日

形式主義と実績

公教育は形式主義と実績を作ることが大好きだ。

例えば出席日数。学校に来てさえいれば、出席扱いにしてくれる。
そこで一生懸命学習しているかいないかは全く関係ないのだ。

さらに、授業時数。どれだけ内容が充実していたかではなく。

数を形式的にこなせばOKなのだ。

個人的に、非効率的や非生産的なことをするのは嫌いだ。

誰かのこだわりなどによって、システムを効率化したり現実的にしたりすることができなくなっているのではないかと思う。

通信制の高校なんていい例だ。スクーリングやレポートはあるようだが、私は大手予備校などで真面目に学習したほうがよっぽど身になると思う。

しかし、実際は塾や予備校のほうがよっぽど真剣に勉強している生徒が多いにもかかわらず、
そちらで努力しても何の資格も貰えることができない。

思考力を身につける→脳トレがしたいのか。受験勉強がしたいのか。

<a目的と、努力することがより噛み合っているようにしてもらいたいと思う。

 



2014年2月18日火曜日

エリート教育と発達障害

発達障害という言葉をご存じだろうか。

発達に遅れがある症状のことをいい、読み書き計算、情緒面に課題のある人のことをいう。大人の中にも多数いるらしい。

これを踏まえ、学校は特別支援教育を推進している。

特別支援とは、個々に応じた特別な支援を教育の中でしていこうというもので、授業についていけない生徒を個別に指導したりすることである。

発達障害といわれる子供が数パーセントの割合でいることが近年分かってきた。

一方で、学力向上が国家の課題ということで、エリート教育も行いたいと一般的には考えられている。

エリート教育は、塾ですればいい。と考えている人もいるかもしれないが、当然学校でも行う必要がある。

現実には公立の学校でエリート教育をするのは難しい。

例えば、クラスに問題行動の多い生徒がいたとしよう。授業中に黙って座っていることができず、すぐに話してしまったり、歩き回ってしまう。

こんな生徒がいた場合、先生は座るようにその生徒に指導しなければいけない。

実際、この生徒に話しかけている時間はきちんと勉強をしている人にとっては無駄な時間である。

むしろ、連帯責任でクラス全体が説教されることになり、不快な気分になることもあるだろう。

日本の制度では一度クラスを決めたら一年間は変えないし、先生も変えない。

転校する以外、1年間そのクラスで授業を受けるということにこだわるのではなく。

個々に応じた教育を行いのであれば学力や、興味に応じたクラス編成を導入するべきだと思う。

ただ出席しているだけで、生活面から指導が必要な生徒と、真剣に進学や将来に向けて学習したい生徒が強制的に同じ教室で勉強することは非効率的である。

不登校が生じる原因も、この教育制度の強制度と頑固さが原因なのではないだろうか。

個のニーズに応じた教育が今後されるシステムが構築されることを願う。